三女「美子」役の「杉咲花」の演技が上手い。とりわけ、大切にしていたオモチャを食糧と引き換えに農家の子供に譲らざるを得なくなった、先日のシーン。伏し目がちの演技が泣かせた。子役からやっていた女優のようだ。次女「鞠子」役の「相楽樹」もいいけどね。
先日、ドラマのモチーフ本となった大橋鎭子の『「暮しの手帖』とわたし』を読んだのだが、主人公の出身地や職歴など細部が、ドラマと史実とでは異なる。例えば、実際の大橋鎭子は幼少期は北海道で育ち、貿易商社ではなく銀行(興銀の前身)、その後は日本読書新聞の前身に勤めていた。まあ、トルゥー・ストーリーとは謳っていないわけで、このぐらいは脚色のうちではあるわけで。
来年(2017年度)前期の朝ドラは「ひよっこ」というタイトル。なんと有村架純が主演に決定だとか。「あまちゃん」では小泉今日子の若き日を演じて、その後大ブレイク。過去の遺産というか、過去のシリーズで発掘したタレントを今度はメインキャストに再採用して視聴率を稼ぐ、という「ヘリカル(らせん型)」手法、再びだ。
いきなり新人を登用して、おっかなびっくりの演技で視聴者をハラハラさせる「ジェットコースター」型手法(いずれも私が命名)も捨てがたいが、今回は安定路線なのだろう。
新聞雑誌は、フランスと同じく、相当の頁数を広告に割いているが、それ以上なのがテレビである。 放送はスポンサーの告知から始まり、以後、五分おきに短時間のスポット広告が、それも同一スポンサーの広告が番組を中断する。 考える時間などない。ほとんどのテレビ局はパチンコ業界のようなプログラムを提供している。目障りな色彩、絶えざる騒音、中学生なみの俗悪な笑い。
このテレビという曲馬館のような騒ぎにおいて、広告は世界的な巨人、電通によってコントロールされている。電通は世界第五位のグループ企業であり、広告業界トップの代理店である。
引用:電通は日本のメディアを支配しているのか? (内田樹の研究室)
内田氏が翻訳してくれたフランスのネット記事の中に、広告代理店の功罪を指摘する文脈ではあるものの、日本のテレビについてまことに的確な批評があったので、引用した。
テレビ(特にCMによって支えられている地上波民放局)を、「パチンコ業界のようなプログラム」と呼び、さらに「曲馬館のような」と批評するあたりに、言葉のセンスを感じる。まさに言い得て妙なのだ。
だが、問題なのはテレビ広告だけではない。
ずいぶん昔の話だが、イギリスを仕事で訪ねた折、現地在住が長い日本人コーディネータ(女性)にこんなことを聞かれた。
「ときどき日本に里帰りすることがあるんですが、そのたびに日本のテレビって騒々しくなってている。外国語の翻訳でもないのに、画面の下に話者の話の内容がテロップが流れるのはなぜ? スタジオのタレントさんの表情が画面中の小さな窓に始終、インポーズされるのはなぜ?」
イギリスのテレビはあんなにケバくはないというのだ(今はどうなのか知らないが)。
「視聴者にチャンネルを変えて欲しくないから、あの手この手で興味を促したいんでしょう」
と私は答えた。
「でもあんなケバケバしい画面じゃ、逆効果でしょうね」というあたりで彼女とは意見が一致した。
こうした騒々しさの基本構造を、うまく図解してくれた人がいる。まさにバラエティ番組の構成はこうなっている。
最近はNHKのニュース解説番組まで、採り上げたテーマについての意見募集とかいって、Twitterのつぶやきを延々とテロップで流す。あれが私にはウザい。ニコニコ動画の、画面を覆い尽くさんばかりの「コメント機能」と同じくらい、大嫌いだ。
ネットを活用した視聴者参加型の番組づくりってことなんだろう。小賢しくいえばテレビのソーシャル・メディア化。しかし「ソーシャル」と言われましてもねえ。映し出されたものを一人でじっくり見て、そこで何かを反省的に考えることができない人に、本当の意味での「ソーシャル=社会的」なコミュニケーションは期待できない。今のテレビの画面は、ものを考えようとする、そうした静かでゆったりとした時間を我々からますます奪い取る。
って、テレビとはそういうものだけどね。昔から。
今回のエンブレムが完成する過程では、佐野氏の原案に似た商標が見つかったため、大会組織委員会などの要請によりデザインが修正された。この過程は8月28日の記者会見で公表されたが、永井氏は1回目の修正案をその直前まで知らされておらず、最終案についても「(発表の)1週間くらい前に知らされ、国際商標を取ったというので、いまさら何を言ってもしょうがないと思って了承した」という。
⇒ 五輪エンブレム撤回:森会長「えらい目に遭った」 - 毎日新聞:
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は2日、東京都内で講演し、佐野研二郎氏がデザインした大会の公式エンブレムが白紙撤回となったことについて「だいぶ、えらい目に遭った」と述べたが「きょうはその話はしない。メディアの人が入っているから」と、それ以上は言及しなかった。
なんなんだんろう。責任を負うべきものたちの、この脱力するコメント群。この無責任の空気。
ワシらの若い頃、ワシらの世代は「無気力・無責任・無関心」の三無主義と呼ばれたが、当時のいい大人、いまの爺っちゃまたちにも、波及してたんだね。麗しきニッポンの伝統だなあ。
「五輪エンブレム中止問題」で「保守速報」などのネトウヨメディアが過剰に反応し、デザイナーの佐野研二郎氏タタキに必死なんで、なんでかと思ったら、要は「日本は他国の真似なんかしない。このままでは中国・韓国と同じになる」という危機感があるかららしい。
バカ言うなよ。最近でこそ和食など日本文化のオリジナリティが持ち上げられているが、工業製品やそのデザインについてはつい数十年前までは、日本は世界に冠たるコピー大国として有名だったのを忘れたのか。
20年ほど前にスウェーデンを旅行したとき、同国の小学校の教科書には「日本という国はかつてわが国スウェーデンのマッチ製造技術を模倣し、それをあたかも自分の国の技術のように世界に広めた。我々は日本人に気をつけねばならない」という記述があることを教えてもらった。今ネトウヨが盛んに批判する中韓と、明治の日本は同じ状態だったのだ。
そもそも、人類世界のあらゆる創造物で、たった一人で考え、たった一人で創ったという意味での独創性など、古今東西あるはずもない。模倣と改良を繰り返し、それが地理的距離を超えて伝播することで、文化は豊穣になる。独創性の神話に惑わされてはいけない。ましてや独創性を何か特定の国の固有の所産であるなどと妄想するのは、文化というものについての根本的な誤解にすぎない。
それはともあれ、エンブレム問題については、昨晩、飲み屋で某スポーツ・ジャーナリストとこんな話をした。
佐野氏が「取り下げ」を自ら表明せざるをえなくなったのは、エンブレムそのものの「盗用」を認めたからではない。エンブレムの「展開例」のパネルに他人のブログの画像を無断で流用したことが発覚したからだ。この「展開例」については、
⇒ 佐野氏、展開例画像流用認める「了解を取ることを怠った。不注意でした」 :
武藤氏の説明によると、佐野氏は展開例画像の流用を認め「もともと応募の際の内部資料のために使った。クローズド(公開されない)な部分で使うのはデザイナーとしてはよくある話。ただ、一般に公表する時に権利者の了解を取ることを怠った。既に原作者にアプローチはしていたが、不注意でした」と話したという。
という報道がある。
もともと一般公開を前提としていない内部資料という説明はよくわかる。広告業界でいうカンプの一種だからだ。デザイン検討の段階では適当に素材を当て込んで、イメージを喚起する。ただし、本番の作業ではオリジナルの写真に差し換えたり、権利者に使用許諾をとるのは当たり前だ。
「展開例」は実は7月のエンブレム決定時の記者発表でも提示されているが、そこでは流用の問題は指摘されなかった。そして、組織委員会は8月28日の選考過程の説明会で再び「展開例」を持ち出した。それが火消しどころか、かえってヤブヘビになった。
武藤事務総長は佐野氏に「一般に公表する時に権利者の了解を取ることを怠った」と自己批判させているが、許諾を得る責任をひとえに佐野氏に負わせるのはいがかなものだろうか。
「展開例を記者発表するけど、あそこで使った写真、大丈夫なの?」とまずは佐野氏に確認し、許諾関係をすっきりさせておくのが手順というものではなかろうか。組織委と佐野氏の間で「展開例」をめぐる確認作業がどれだけ行われたか、現時点では疑問の残るところである。
で、昨晩の飲み屋での会話では、この問題はこういう筋読みでほぼ合意した。
つまり、組織委は「展開例」の写真がどこからかの「流用」であることはとうに知っていた。そして、佐野氏が権利者からの了解を取る作業を待たず、先走って公開した。それは佐野氏の再度のミスをあえて天下にさらけ出し、外堀を埋め、彼に「取り下げ」を強制するためだ。
組織委はどこかの時点で、佐野氏を防衛する方針を変更し、放逐に矛先を変えた。翻意を促したのは、公式スポンサーからの何らかの圧力なのかもしれない。政府筋からの指図があったのかもしれない。いずれにしてもこれは組織委のオウンゴールというより、周到に意図された追放劇なのではないか。
暗いところで蠢く力で、著名なデザイナーが二人葬られた。むろん最初はザハ・ハディド、二番目が佐野研二郞だ。何か呪いでもかかっているのか。佐野氏については「佐野厄除け大師」をもじって「佐野厄寄せ大師」という異名も生まれているそうだが、ほんとうに災厄を呼び寄せているのは、実はあの政界のドン、サメほどの知能しかもたないといわれる元首相経験者ではないか、という説も、深夜の飲み屋ではまことしやかに語られたのだった。
⇒ 戦後70年 沖縄「しまくとぅば(島言葉)」、差別と復権 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル:
現在、国内にある米軍基地の約4分の3が集中する沖縄県だが、太平洋戦争直前の41年夏までは全国で唯一、常駐部隊も軍事施設もない県だった。
なんくるないさー(くじけずに努力すればいつか良い日が来る)の精神。そんな沖縄の人々を、沖縄連隊区司令官・石井虎男は「沖縄防備対策」(34年)で「国家の興廃についてまったく眼中にない」と激しく批判。思想伝導の一環として過激な「標準語励行運動」を始める。
沖縄独自の姓は本土風に改姓させられた。島袋は「島」や「島田」に、渡嘉敷(とかしき)は富樫(とかし)に。さらに、「役場窓口で方言を話す老人には対応しなくてよいとの通達が出たり、方言を話す老人のブラックリストが作られるなど、(中略)沖縄語は価値のない言葉として貶められた」(「沖縄タイムス」2006年9月13日、文化面「しまくとぅばをめぐる風景」屋嘉比収)。
学校では、沖縄語を使うと罰札「方言札」を持って立たされた。方言札は、標準語をしゃべる「立派な日本人」を尊び、沖縄語の使用を罪悪視する刷り込み教育の象徴だった。
45年の沖縄戦時にはエスカレート。「『沖縄語を使った者はスパイと見なす』という軍命が出され、実際にスパイの嫌疑をかけられ殺されもした。(中略)言葉一つで生死を分けた」(沖縄タイムス「うちなぁタイムス創刊号」13年、映像評論家・仲里効さん)
「方言札」のことは知っていたが、「創氏改名」的な強制がされたり、「方言を話す老人のブラックリスト」まで作られたことは知らなかった。
戦後70年、いまは「しまくとぅば」の復権が盛んだという。2009年、ユネスコが沖縄県内の5言語(与那国語、八重山語、宮古語、沖縄語、国頭語)を「独立した言語」と認定し、消滅の危機にあると発表したことが背景にある。沖縄の「自己決定権」への関心の高まりも、この流れを後押ししているのではなかろうか。
県文化観光スポーツ振興課は今年、「しまくとぅば読本」3万6千部を県内全ての小学5年生と中学2年生に配った。A4判50㌻。県内5言語の日常会話の収集と監修には1年近くかかった。5言語の差異が、本州最北端の津軽弁(青森)と九州最南端の薩摩弁(鹿児島)の差異よりも大きいからだ。例えば、日本語の「いらっしゃいませ」は那覇では「メンソーレー」だが、宮古島では「ンミャーチ」、石垣島では「オーリトーリ」。発音の違いを理解するCDも付けた。同課の平良真さんは「一つだけを採り上げると、他地域の言葉をなくすことになる。それでは本土(がやった沖縄語弾圧の歴史と)と同じになるからね。子どもの間にしまくとぅばに触れて興味を持ってもらい、普及と継承につなげたい」。
「一つだけを採り上げると、他地域の言葉をなくすことになる」という方針に目を啓かされる。かつては沖縄本島の琉球王朝政府が離島を抑圧した歴史もある。方言の存在を、文化多様性のキーワードとしてとらえることがこれからは重要だ。
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Author: thinmustache(a.k.a. hiropon)
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