熊本県を震源とする14日夜の地震で、県災害対策本部は15日、県内の死者は9人、重軽傷者は1001人と発表した。佐賀、福岡、宮崎の各県でも計11人が重軽傷を負った。この日も断続的に余震が続く中、熊本県内では一時、約4万4千人が避難所に身を寄せた。気象庁は、週末にかけて熊本県で大雨の可能性があるとして土砂災害への警戒を呼びかけている。
⇒ (平和のすがた:4)トラウマ 封印された「戦争神経症」 戦後70年・第6部:朝日新聞デジタル:
戦場から帰った兵士らにしばしば、こんな症状が現れる。心的外傷後ストレス障害(PTSD)である。
その名がつく前にも、戦争のトラウマ、つまり心の傷で苦しむ人はいた。なのに元日本兵のトラウマに目を向けた研究は少ない。
貴重な例外があった。のちに厚生省生活衛生局長を務める精神科医の目黒克己(82)が、戦後20年の時点で手がけた調査だ。
日本人の精神力を強調する軍は、日中戦争開戦の翌年には、「戦争神経症」と欧米で呼ばれる病には1人もかかっていないと誇っていた。現実には対応を迫られ、国府台(こうのだい)陸軍病院(千葉県)をその拠点とする。敗戦時、軍は資料の焼却を命ずるが、病院長の故・諏訪敬三郎はひそかに8千冊の病床日誌を倉庫に残す。
そういう資料が残ってたんだ。他にも、都合の悪い資料は敗戦時に燃やしちまったんだろうな、と容易に想像がつく。
戦後20年の調査の際、目黒は元国府台陸軍病院長、諏訪敬三郎に相談した。
戦争神経症で戦地から国府台に送られたのは下士官と兵ばかり。将校では発症した人が少ないようだ。なぜなのか。
2人はそんな議論を交わし、「日本は『天皇の軍隊』だからではないか」という見方で一致する。米軍より「絶対服従」の度合いが強く、自分の責任でやったという意識を持ちにくいという意味だ。将校なら兵士に比べ、軍内で暴行を受けたりみずから手を下したりすることも少ない。
「天皇の軍隊」の象徴の一つが、上官の命令を天皇の命令と心得よという軍人勅諭だ。一橋大教授の吉田裕(60)の研究によれば、それでもかつては処分への異議申し立ての権利が定められていたが、軍は1930年代から40年代にかけて逆らう余地をなくしていく。同時期に「国軍」と称していた陸軍は「皇軍」を名乗るようになる。
たとえばアイヒマンにように、人が命令に従う「機械」になれば、トラウマになることもない、ということか。2003年のイラク戦争に派遣された自衛隊員のなかでも帰国後自殺をした人が何人もいる。その数が一般の自殺率と比べて多いか少ないかはわからないが、戦争神経症の発症を疑うべきかもしれない。
⇒ (寄稿)私の歩んだ戦後70年 ドイツ文学者・エッセイスト、池内紀::
そこ(カントの「永遠平和のために」)には国どうしが仲良くといった情緒的な平和は、ひとことも述べられていない。カントによると、隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって「自然な状態」ではないのである。むしろ、いつもひそかな「敵意」のわだかまっている状態こそ自然な状態であって、だからこそ政治家は平和を根づかせるために、あらゆる努力をつづけなくてはならない。
そのような平和を根づかせるには、ひとかたならぬ忍耐と知恵が必要だが、敵意のわだかまる「自然な状態」を煽(あお)り立てるのは、ごくたやすい。カントによると、その手の政治家はつねに「自分の信念」を言い立て、「迅速な決断」を誇りつつ、考えていることはひとえに、現在の世界を「支配している権力」に寄りそい、ひいては「自分の利益」を守ることだという。いまさらながら、この哲学者の理性のすごさを思わずにはいられない。
本日のタイトルは、むろんジャン=リュック・ゴダールの映画『女と男のいる舗道』のパクリである。高校生のころ読んでいた総合雑誌に連載されていた匿名コラムの表題がたしかそんなで、それも脳裏にあった。今日ふとそのフレーズが浮かんできて、MacをSpotlight検索していたら、出てきた。1992年12月24日付けの原稿。いまは存在しないとある雑誌に書いたコラムだ。
ブログネタが尽きたので、アーカイブを掘り出しはじめたというわけではない。なんかこの原稿を書いていたときと同じような感覚、既視感のようなものが昨日の午後に蘇ってきたのだ。季節は枯葉散る冬の舗道とは真逆の、うだるような猛暑日ではあったけれど。
全文を掲示してみる。
週刊文春に麻生圭子さんが連載している「日本のプライヴァシィ」というコラムがなぜか好きである。たとえばレストランの後ろの席で深刻そうに向かい合っているアベックの方から、聞くともなしに耳に入ってくる会話……
♂「だからやばいって言ったろ」
♀「仕方ないのよ、終わっちゃったんだもん」
そんな会話の断片をひそかにメモして、二人の間柄から関係の煮詰まり具合まで、ああでもないこうでもないと推測しては、1ページのコラムを仕立ててしまう。盗み聞きというと身も蓋もないが、なかなか想像力豊かな耳である。
私も、かつてこんなことを思ったことがあった。雑踏の中を感度のよいカセットテープを片手に、ふらふらと歩いて、文字通り街の声を採集するのだ。街頭演説のカン高い声、大安売りを告げる呼び込みの声、新興宗教団体が奏でる音楽、子供の泣き声、老人のつぶやき……都会の街頭はさまざまな雑音の集合体である。かつて日本に来たばかりのラフカディオ・ハーンが感動した美しい響きとはもう出会えないかもしれないが、それはそれで、今の時代らしい音や言葉が拾えるはずだ。乱暴な男言葉の女子高生に少女幻想の崩壊を感じてもいいし、ペルシャ語とパンジャビ語とタイ語が交互に通りすぎる様子から、日本における外国人労働者の現状を考察してもいい。
ただ私はその日、そんなふうに意識して街を歩いていたわけではないのだ。けれども、その女の声には、通りすがりの人を振り向かせるような切羽詰まった調子があった。
「逃げないでよ!」
私は急いでいた。調べ物があって、本屋に行かなくてはならなかった。しかしその声のする方を振り向いた瞬間に、ただならぬ様子を見てとって足が止まった。女の声の先で、うつむいたまま背を向けている、ジーンズをはいた自由業っぽい中年の男の顔に見覚えがあった。知合いというわけではないが、かつてその人の著作をたくさん読んだことのある、フリーのジャーナリストによく似ていた。きっちりとした仕事をすることで知られる社会派のルポライター、ということにしておこう。むろん妻子があるはずだ。女は年の頃30代半ばで、服装からするとその男と同業と思えた。
「逃げないよ」
男はそう呟いたように聴こえた。しかし、女から離れたがっている様子はありありだ。やがて背を丸めたまま男は、冬の夕暮れの雑踏の中に消えて行った。女は二歩、三歩追いかけたが、すぐに歩みを止めて男の背中をじっと見つめていた。その瞳に涙が溢れたかどうかは、私は知らない。
よくある男と女の愁嘆場である。実りのない恋の清算の現場なのかもしれない。しかし所詮は通りすがりの目撃者の私には、それ以上知る術はないし、それ以上を詮索する権利もない。
けれども、私はなぜかホッとした。尊敬すべきあの人にも、プライバシィがあるのだということ。それはもしかしたら世の倫理にもとることかもしれないけれど、押さえつけることのできない衝動をこの人も抱えていたのだと思うと、なぜか、心が安らいだ。
逃げる男と追う女。二人の中年男女のプライバシィは、吹き散らされた枯葉のように、夕暮れの街頭に佇んでいた。
遭遇したシーンは、ほんとうの話である。愁嘆場をみせてくれた著名ジャーナリストも、高齢にもかかわらずお元気で活動されている。ちなみに、麻生圭子さんも最近あまり名前を聞かないが、ご健在のご様子。文中の「カセットテープ」だけは、いま書くなら「ICレコーダー」だろうか。
あれから四半世紀も経つけれど、舗道に悄然と、男と女が佇む風景はたぶん永遠に変わらない。
⇒ リベラル、鶴見俊輔氏のための言葉 上野千鶴子氏追悼文:朝日新聞デジタル:
鶴見俊輔。リベラルということばはこの人のためにある、と思える。どんな主義主張にも拠(よ)らず、とことん自分のアタマと自分のコトバで考えぬいた。
鶴見俊輔の影響は、私にとっても小さくない。上野千鶴子も言うように、「いつかは、と覚悟していたが、喪失感ははかりしれない」。「今夏の違憲安保法制のゆくえを、死の床でどんな思いで見ておられただろうか」と、彼の読者ならみな思うだろう。
> 線虫、においでがん判別 患者の尿「1滴あれば検査可能」 早期でも的中:
シーエレガンスの的中率はどのぐらいなのか。がん患者と健康な人計242人の尿に対する反応を調べたところ、がん患者24人中23人をがんと判定し、確率は95・8%。このうち12人は早期がんだったが、すべてがんと判別できた。一方、健康な人218人を「がんでない」と判定した確率も95%だった。犬と比べても遜色がない。
発見の報道自体は数ヶ月前に何かで読んだが、これはより詳しい記事。
Author: thinmustache(a.k.a. hiropon)
よしなしごとを書き散らかしております。