だらだら続けた「ハノイ紀行」もそろそろ最終回としよう。印象に残った街と建物と人の写真、まだアップしていなかったものなど。
▲オートバイ、スクーターの通勤風景。数は膨大だが、流れに乗って走れば大丈夫? 整然と信号待ちをしているところもある。
▲ハノイ大教会(St. Joseph's Cathedral [Nha Tho Lon])。ホテルがわりと近かったので、タクシーで帰るときはここがランドマークになった。運転手に俺流ベトナム語発音が通じないときは、十字を切る仕草で分かってくれた。
▲ベトナム革命のリーダー、ホーチミン・ベトナム民主共和国初代主席が眠るホーチミン廟。保存された遺体との対面は日程的にできなかった。
▲ホーチミンが執務していた家や周辺の景観は美しく保存され、一般に公開されている。
▲ハノイ名物のタンロン水上人形劇。舞台袖に楽隊がいるのだが、その美人歌手たちを望遠レンズで狙った。なんか京劇みたいなハイトーンの歌い方。自分たちのコーラスパートじゃないときは、隣同士ぺちゃくちゃお喋りしてたりして、なんだかホンワカな感じ。人形劇自体は、必見とはいわないが、民俗芸能としてはまあ、こんなものかな。
▲釣りにいそしむおじさん。タイ湖の浮島にあるお寺のほとりで。
▲旧市街のスーパーマーケット。外観は洒落ていて、上階では写真展なども開かれているのだが、地下売場は魚が発酵するような強烈な臭いに満ちていた。
▲ハノイ駅。ベトナム戦争で主要部を空爆され再建されたが、一部には仏植民地時代の遺構も残る。
▲その色彩とカオス的な調和が、いかにもハノイ風だなと思ったアパート。
▲「イオンモール Long Bien」──買い物客も多いが、たんに名所見物という感じで訪れる人も少なくない
ハノイに観光で行って、ハロン湾やサパにも足を延ばさず、イオンモールに出かけた変な旅行者ではある。
ハノイ郊外ロンビエン地区にイオンモールがオープンしたのは、2015年10月28日。まさに私たちが訪れる4日前のことである。オープン後、2番目の週末にあたる11月7日の様子をわざわざタクシーに乗って観に行った。
近年、東南アジア各国での店舗開発を強化しているイオングループ。「イオンモール Long Bien」は、ベトナムにおける3号店、ハノイエリアでは最初の店。地上4階建て。シネコン、アミューズメント施設、フィットネスクラブ、ボーリング場などを擁する延床面積12万㎡は、東南アジアでは、5月にオープンしたインドネシア「BST CITY店」に次ぐ規模だ。
これがまたオープニング景気ということもあって、相当混んでいた。若いカップル、高校生ぐらいのグループ、小さな子供連れ、おばあちゃんを引きずり出して一家総動員などなど、あらゆる階層が参集という感じ。なかでも、飲食フロアの混みようは半端ない。ベトナムの現地物価からすれば、相当お値段が張るにもかかわらず、寿司・うどんなどの日式はもちろん、韓国、タイ料理などのファーストフード店には行列ができている。
実は国内でイオンモールって船橋の店にしか行ったことがないんだけれど、それと比べると活気は100倍ほど違うように感じた。ベトナムにおける消費欲の旺盛な成長ぶりに目を見張った次第である。
▲寿司の詰め合わせ作業に興味津々
▲素焼きの壺に入っているのは「ナマズ科の白身魚バサの煮付け」だと思う。晩ご飯のおかず? 37,900ドン(約200円)
▲鮮魚を生け簀に入れたままで販売するのは、ベトナムでは珍しいのかも。ってか、日本のスーパーにもめったにないよな。
▲こちらはお米の量り売り。インディカ米がほとんどだけれど、日本のコシヒカリなども置いてあった。向こうの人はまずは米の香りを嗅いでから品定めするようだ
その後のイオンモールも大変なことになっているようで、参考までに VET JO の記事をリンクしておく。
▲ハイフォンの街を見下ろす。人口170万人。ソンコイ川(紅河)河口に開けた河川港で、ベトナム北部最大の港湾都市。河岸に巨大なクレーンが見える。ハイフォンは漢字で書くと「海防」。仏領インドシナ時代は、フランス海軍の極東最大の基地が置かれていたという
▲ハイフォン駅。黄色いフランス風の建物
ハノイを起点にするパッケージツアーには、世界遺産のハロン湾観光や、少数民族の里サパをオプションに組み込んでいるものが多い。ホテルや街角の旅行代理店でも、個人旅行者向けのオプショナルツアーとして、これらを売り出すところが多い。私たちのホテルでもチェックインするなり、「ハロン湾とかサパとか行きませんか。リーズナブルなツアーを用意できますよ」と誘われた。
私たちが渋っていると、「1週間もハノイにいるの? 他にはどこ行きますか」と聞いてくる。「ちょっと鉄道に乗ってハイフォン(Thành phố Hải Phòng)あたりまで……」と答えると、呆れられた。ホテルの女性マネージャーは、「ハイフォン? ビジネスで行くんならわかるけど、何にもないよ。港と巨大なクレーンがあるだけよ」と高笑いした。
別に笑われることじゃないと思うんだけどな。ハイフォンはたしかに貿易都市であって観光地ではないけれど、ちゃんと『地球の歩き方』にも行き方が紹介されている。ま、そもそもは、鉄道に乗って日帰り旅行したいだけなので、目的地はどうでもいいのだ、私たちの場合。
というわけでみなの「反対」を押し切って、ハイフォンである。たしかに、観光的には何にもなかった。というか、私たちもほとんど観光的なふるまいをしなかった。ハイフォン風の麺料理「バインダークァ」も食べなかった。駅前のカフェでお茶をし、街のホテルの最上階で、街の全景をカメラに収めながら、あんまり美味しくない海鮮パスタを食っただけ。そして帰りは、高速バスでハノイに帰って来た。
バス・ターミナルがガイドブックの記載と違って、中心部から3~4kmほど離れた場所に移転していたので、こればかりは計算外だったが……。ハイフォン~ハノイを結ぶ道路際では、日系企業も看板を掲げる大規模な工場団地や、後でも触れるイオン・モールを発見した。ベトナムの産業と消費の隆盛ぶりを垣間見ることができたのは悪くなかった。
ハイフォンの街では、2人乗りのオートバイでベトナムを巡るふうの、若い欧米人客に出会った。交通マナーがあんまりよろしくないベトナムで、バイクツーリングとは勇気があるが、こういう旅の仕方もありだとは思う。
ハイフォンからハノイに戻ると、ホテル・マネージャーがにやにやしながら、「ね、何もなかったでしょ」「いや、それなりに面白かったよ」「Do you swear?(ほんとに?)」
ま、誓って言うほどのことではないが、いいの、いいの。旅には、それぞれの流儀があっていいんだから。
▲名前は忘れたが、ハイフォン線の途中の駅。プラットホームをおばさんが行く
▲車窓にはひっきりなしにコンテナ・トラックが行き交う
▲ハイフォンのバスターミナルからは頻繁に各方面への長距離バスが出ている。ハノイまでは2時間ほど。帰路の夕焼けが美しかった
ベトナム・ハノイの鉄道インフラはけっして潤沢とはいえないが、いちおう北京との間に国際列車、南北を貫く統一鉄道、そしていくつかのローカル線がある。旧市街の北のほう、ホン河に面したところにあるロンビエン駅(Ga Long Bien)は、ラオカイ、ハイフォンなど北部の都市との間を結ぶターミナル駅だ。
駅舎はごらんのようにボロい。早朝の駅前にはタクシー・プールなどと洒落たものはないが、沿線から出勤してくる人々のために、三輪バイクを改造した乗合タクシーが客待ちしている。
むしろこの沿線はバイク通勤の道筋にもなっている。ホン河を架橋する古びた鉄橋の側道を無数のバイクがハノイ中心部に向かって渡ってくるのを見た。
このロンビエン橋自体は仏領時代に建設された、近代鉄骨橋梁のモニュメントでもある。ベトナム戦争時代には何度も米軍の空爆を受けたが、壊滅することはなく、そのたびに補修され、現在に至るというわけである。
▲ロンビエン駅の乗合タクシー
▲列車は鶏も運んでくる。ちなみにベトナム語では「駅」を ga 、「鶏」もgà という。声調は違うけど。
▲錆びた鉄骨が時代を物語るロンビエン橋。なかなか写欲をそそるデザインではある
▲駅舎内でくつろぐスタッフ。オフィシャルな仕事に就く女性はアオザイの制服姿が多い
▲ハイフォン線の一等車に乗って、これからハイフォンに向かう。片道2時間半の旅程だ
▲ハイフォンまでのチケット。7万ドン(約380円)
「アジア各地には、ヨーロッパ列強の残した西洋建築があり、それぞれ今に至るまで都市施設として使用され、また長い年月を経て歴史的建造物として市民に親しまれる存在となっている。その中でも、ハノイは、アジア最大のフランス建築の宝庫だ」
と書いているのは、『建築のハノイ──ベトナムに誕生したパリ』(白揚社)の大田省一氏(京都工芸繊維大学准教授)だ。この本はハノイから帰国後に手にしたのだが、事前に読んでいたらもう少しハノイの街歩きは面白くなっただろう。植民者たちにとって南方の色の象徴である、イエローに彩色された威厳のある建物はハノイ市内にいくつも存在したが、一見するとなにか「派手な西洋建築」ぐらいにしか見えず、そこに近づこうとする意欲を削いだ。ただ、本書を読むと、西洋建築をそのまま移入しただけではなく、西洋と東洋の合体をめざした「建築学的工夫」が随所に凝らされているというのだ。
誰かが言った「植民地主義の美しき爪痕」。そのつぶさな観賞の機会はあらためてのハノイ訪問の折にとっておくとして、今回紹介するのは、1901年のハノイオペラ座(現市民劇場)と同時期に建設された、ハノイの最高級ホテル「ソフィテル レジェンド メトロポール ハノイ」の写真である。
一泊3~4万円もする高級ホテルだからして、当然のことながら宿泊したわけではない。館内を少しぶらつき、滞在した各国のセレブの写真を眺め、通りに面したカフェでビールを飲んだだけだ。1990年代にフランス資本によって改装されたが、往時の面影は残り、建物観賞に値する偉容をいまなお誇っている。
▲ファサード。竣工の「1901年」を記念するレリーフも
▲窓の格子のデザイン
▲ブランドショップが並ぶ内観
▲ここも結婚記念写真の借景としてよく使われる
▲かつて要人らを迎えた、古いロールスロイスが展示されていた
▲小舟でなにか魚を捕りにいくのかなあ。
ハノイ名所「ホーチミン廟」にお参り(じゃなくて前を通り過ぎただけだけど)に行ったついでにタイ湖に足を伸ばしてみた。
「タイ湖;Ho Tay;西湖」。先に触れたホワンキエム湖が12haの池だとすれば、その40倍、500haの広さをもつ、ハノイ市最大の湖。蓮の花が咲く季節はたいそう美しいそうだ。
旧市街の雑踏とはうって変わって、静かな湖畔。洒落れたホテルや別荘風の建物、ボートレストラン、歩いて渡れる小島には有名な仏塔を抱えた寺院などもある。釣りをする人、サイクリングする人、夕景にぼぉーと佇む人など、さまざまだ。
全周17km。これを全部歩いて回った風変わりな日本の若者たちもいる(「ハノイ最大の湖・ho tay を朝から晩まで歩いて回る楽しい苦行」べとまる記事)けど、ふつうは歩かないでしょ。私たちの場合は、観光用の電動ミニバスに乗って一周した。
▲釣りをしていた女の子
▲一日の仕事の疲れを癒すかのように
▲スワンボートで湖水遊びも楽しめるみたい
ベトナムはいちおう社会主義国なので、建前上、女性の社会進出は奨励されるし、そこに差別はないことになっている。実際のところはよくわからないが、街中で働く女性の姿は肝っ玉な感じで、見ていてたのもしい。
ベトナムの歴史・社会・文化におけるそうした女性の役割を紹介するのが、「ベトナム女性博物館 バオタン・フーヌー・ベトナム」だ。収蔵資料は約28,000点。これだけの規模のジェンダー博物館というのは珍しいのではないかと思って、参観することにした。
出産、結婚、労働およびそれらの儀礼で使われた道具・風習についての展示も興味深かったが、圧巻は第一次インドシナ戦争やベトナム戦争で女性たちが果たした役割の紹介だ。
▲建物は中心が吹き抜けになっている。美しい独楽のようなオブジェが天井から吊り下げられていた。
▲ベトナム戦争時、南部でのインテリジェンス活動にあたった女性部隊の写真。▼下は、南ベトナムに潜入するために使われた偽造の身分証明書。対仏・対米戦争で闘い、亡くなった女性兵士や活動家らを追悼・顕彰する展示も多い。
▲「ベトナムの英雄的な母たち」と題した展示コーナー。
▲「ファッション」のコーナーも充実。モン族など少数民族を含む、ベトナム女性の衣装の展示が素晴らしい。
ベトナムは多民族国家である。狭義の意味でのベトナム人はキン族と呼ばれ、これが人口の86%を占める。少数民族としては代表的なものに、タイー、タイ、ムオン、クメール、ホア、ヌン、モン族がいる。それぞれ人口は2%以下。さらにより少数の民族集団が48もある。
以前、テレビでベトナムやタイ、ミャンマー、ラオスの山岳地帯に住むモン族(中国ではミャオ族)の衣裳のことを採り上げていて興味をもった。モン族にも部族がいくつかあって、なかでも「花モン族」と呼ばれる人々の女性の衣裳が色鮮やかだった。
ハノイからはこうしたモン族の集落サパ(Sapa)を訪れるツアーがいくつもあるが、短くても2泊は必要ということで今回は諦めた。その替わり、ハノイ市内の「民族学博物館」で少し勉強することにした。
同館が収集する、生活道具、衣裳、図解、模型などの資料は15,000点にも及ぶという。地域ごとの展示がたいへんわかりやすい。建物の裏には、各民族の住居が移築されていて興味深かった。
▲民族学博物館(バオタン・ザン・トック・ホック・ベトナム)の正面。Bao Tang は博物館のこと。
▲エントランスの吹き抜けのロビーには、一種のトーテムポールのようなものが展示されている。
▲入口すぐのところに展示されているさまざまな竹籠。実は自転車での竹籠行商のシーンを再現したもの。
▲モン族の衣裳。
▲移築されたエデ族の伝統的な家屋。めちゃくちゃ横に長い。
▲上記ロングハウスの内部。いかにも涼しそうだ。
▲こちらは別の民族の高床式家屋。
Author: thinmustache(a.k.a. hiropon)
よしなしごとを書き散らかしております。