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ひろぽんの小石川日乗 2015〜

還暦を迎えたおじさんが、日々の喜怒哀楽をつづるブログ

07/30のツイートまとめ

thinmustache

コンプラとか全然効いてなくて労働法無視したり害毒流したりする大企業もあるからね。そんな企業には入社できないよ。でも、そんなクソだけが企業じゃないし、就職だけが社会人になる道でもない。「デモに参加すると就職に不利? 「人生詰む」飛び交う」http://t.co/ysUcMRNxcU
07-30 07:09

[ 2015/07/31 03:42 ] twitter | TB(-) | CM(0)

「新国立競技場計画の白紙撤回」日経の検証記事

⇒ 幻の巨大アーチ、失われた2年半 検証・新国立競技場計画の白紙撤回:

 アーチは、現地の仮設溶接所で鋼板を接合してパーツを作り、クレーンでつり上げて空中でつなぎ合わせていく――。たわみを防ぐためにミリ単位の精度が求められる難工事が待っていた。 異例のデザインが当初から抱えていた問題は、「日本の技術力を示す」という掛け声にかき消された。ある構造設計の専門家は「やめてよかった。工事に突き進んだら何が起きていたか分からなかった」と話している。

日経新聞 2015/07/30

 日経の検証記事。それほど目新しい話はないが、上記に引用した構造設計エンジニアの言葉は興味深い。ミリ単位の精度はニッポン技術の得意とするところだが、それにはカネと時間とヒトがかかる。過信すると、今回のようなドタバタを引き起こすというケーススタディにはなるだろう。


 後は、7月17日の官邸執務室での安倍・森・遠藤・下村・菅らによる最終会議で、森が放ったという言葉。

 重苦しい空気が流れたが、沈黙していた森氏はラグビーのチームプレー精神を示す言葉で協力を訴えた。「あとはOne for all, all for one(1人はみんなのために、みんなは1人のために)だ」


 小学校の児童会じゃないんだからさ(笑)

[ 2015/07/30 04:42 ] sports | TB(-) | CM(0)

小石川で牡蠣。「オイスター&ロティサリーチキン レガール」

 小石川で牡蠣料理の店といったら、ここだろう。というか、オイスターバーは他にはないのだが、ここがあって私は幸せではある。

「オイスター&ロティサリーチキン レガール(Oyster&Rotisserie Regal)」


 高層マンションの裏路地は、場所的には不利とも言えるし、一度わかれば「隠れ家」的にも使える。ことしの3月、昔からの仕事仲間ら6人で定例の「牡蠣を食う会」をここで開き、好評だった。


 都内でオイスターバーの総シェフをしていた佐藤さんと奥さん、それにスタッフ2~3名で切り盛りしているのだが、この前久しぶりに夜に顔をだしたら、7月末からランチをお休みにするという。男性スタッフの一人が辞めてしまい、後の手当がつかなかったのだとか。最近、料飲業界で人手不足閉店とか規模縮小とかいう話をよく聞く。


IMG 1887


 その晩はご夫婦の5歳になる息子くんが親戚の人と一緒に来ていた。こういう家庭的雰囲気も私は嫌いではない。なんでも秋には第2子が生まれるとのこと。おめでたい話ではあるが、店のオペレーションはますます大変になりそうだ。ランチ休止にはそういう事情があるのかもしれない。


 さて、この店は国産の知られた銘柄をバランスよく押さえた牡蠣(都心繁華街のオイスターバーに比べたらはるかに安価)はもちろん、店名にあるように丸焼きチキンも美味い。パスタも季節に応じてオリジナルな装いで出してくれるし、なにより私の好物は、〆にはたいていいただく「牡蠣と大葉のリゾット」である。


 ただそれらはグルメサイトなどでも紹介されているはずなので、今日の写真はリゾットの前にいただいた「夏野菜のフリット」。ズッキーニなど夏の西洋野菜を揚げただけなのだが、上手に野菜の旨味を引き出してくれていた。黒いカウンターテーブルに透明なガラス皿、そこにカラスミを散らしたことで、絵画的にも美しくなった。あえていえば、小さな野菜の宇宙か。

[ 2015/07/30 04:08 ] foods | TB(-) | CM(0)

07/29のツイートまとめ

thinmustache

RT @r_mary: 【ひとり言】大学生や高校生が動き出した途端に、彼らが起こす些細なことに批判や論評をしたがる人達が群れてくる。多様性と言いながら、1人の大学生が持つ個人的な幸福感をどうして認められないのだろう?憲法学者と共闘するなんて私には思いもつかない。それだけでも彼…
07-29 14:26

[ 2015/07/30 03:42 ] twitter | TB(-) | CM(0)

現代における「転向のススメ」

 安保法制反対をめぐる市民の行動に怖れをなしてか、政権党やネトウヨはもとより、よくわからん輩からの、闘う人々への誹謗中傷攻撃が高まっている。「#SEALDs の皆さんへ。就職できなくて #ふるえる」と題した福岡県行橋市の「小坪」っていう市議のブログが話題だ。(リンクはいちおう貼っておくけど、人相の悪いにーちゃんが薄ら笑いしている写真が出てくるから、はっきり言ってキモいよ。)

 私は勇気を出してちょっと読んでみたが、ひでえもんだ。要は「政治的なデモなんてやっていると、満足に就職もできなくて、あんた困るよ」という、田舎の母ちゃんみたいなグチを延々と書きつのっているだけ。その職業観や企業観、いや社会観や人生観までもが、もう古すぎて、ついていけない。さらに輪をかけて文章がめちゃくちゃで、この問題を伝えるLITERAの記者さえ「文章が日本語の体をなしていないので長々と引用することはしない」と困惑気味だ(笑)。


 SEALDsで活動している学生の親が心配して言うのならまだわかるが、なんでオマエが言うの? 

 前記のLITERAの記事によれば、この市議は自民党の「言論統制サークル=文芸懇」の木原稔とつながっているという話。総督のおぼえをよくしようと、安倍のケツのアナをなめている男の、さらにその●●をなめましょうと手を挙げている小粒な成り上がりが、「小坪」ってわけだ。


 むろん、この手の話ってのは戦前からあるだろう。要は特高警察が獄中の「主義者」に向かって放つ「故郷の両親は泣いているぞ」っていう「転向のススメ」。

 その背景には日本社会の同調圧力、革命運動弾圧の意志、天皇制の呪縛、まあいろいろあるわけだ。中野重治なんかそれを文学にまで高めたから偉いもんだ。

 ちなみに人に思想的転向を迫るのに、真っ向から理論闘争をしかけないで、家族や世間体、就職や出世といった社会慣習、社会常識を持ち出すのは、一言でいえば、日本人が近代的な意味での「個」として確立していないからじゃないかと思う。

 よくわからないが、かつての「白バラ」などナチスへの抵抗者たち、あるいは天安門デモに参加した中国の学生たちにも、こういう情に訴える形式の転向強要はあったんだろうか。すごく日本的なやりかたのような気もするんだが。


 こうした日本的転向のススメは形を変えて今もあり、近年強まっているような気がしてならない。


 最近も「うちのおじさんが戦前共産党で特高警察につかまって親戚じゅうえらい迷惑したそうだよ」みたいな話をトクトクと語るツィートをみかけた。このツィーター(私の知り合いだけに辛いものがある)は「一時の気の迷いで中核派や民青の活動家とつるんで、一生公安にマークされて苦労したらええねん」とSEALDSの学生たちを突き放す。学生たちにしてみれば、「おっさん、余計なお世話だぜ」ってもんだろう。SEALDsが中核や民青と密接なかかわりがあるという陰謀論を振りまく時点でもうアレなんだが(俺は関係あったって、別にいいんじゃない、という立場だけど)、発想が「小坪」並みの奴はどこにでもいるってことだ。


 この手のやからは在特会のデモ参加者に対してはけっしてこんなこと言わないから、要はただのcommie-hater(アカ嫌い)なんだろう。こういう人とはあまり生産的な話ができない。あるいはたんに「特高」とか「中国人民共和国公安部」とか、「チェーカー」とか「ゲシュタポ」とか、喜々として人の思想を統制する国家機関に萌えるタイプなのかもしれないが、ここまで至れば話は別次元だ。


 それにしてもたんに政府の政策に反対してデモしただけで、ここまで言われるかね。今は、戦前と同じ時代なのかね。


【追記】

2015/07/30の朝日にこんな関連記事:

⇒ デモに参加すると就職に不利? 「人生詰む」飛び交う:朝日新聞デジタル:

 衆院の安保審議が大詰めを迎えた14日以降、「就職や結婚に響く可能性」などという大学生のデモ参加をめぐるツイートが次々と投稿された。「デモに行くだけで、確実に人生詰みますよ」「就職に不利益が…」。16日にツイッターに投稿されたつぶやきは約3千回もリツイートされた。

 ここでいう「就職」てなんだろうね。そりゃ軍需産業とか財界中枢企業では、今でもこっそり思想調査とかしてそうだけど、そんなとこばかりが企業じゃないんでね。いま立ちあがっている学生はそもそも「社畜」なんぞになろうとはしてないよ。SEALDsを見ていると、社会起業家としてのコミュニケーション力やインテグレーション力抜群の子たちが多そう。それにしても、この記事を欧米に配信したら不思議がられるだろうな。日本の世間ってなんて狭いの、と。

[ 2015/07/29 06:12 ] politics | TB(-) | CM(0)

審議するほど「違憲」明確に 長谷部恭男氏:東京新聞

 今朝(2015/07/28)の東京新聞は読みでがあった。2面には安保法案で憲法論争を提起した長谷部恭男早大教授へのインタビューと論点解説(PDFでアーカイブ)を掲載。
 氏は「日本に影響する軍事的な脅威やテロの危険が高まっているとして、法整備を進めているが」という記者の質問に、
 仮にそうだとしても、おかしい。米軍支援のために自衛隊を世界中に派遣すれば、日本防衛の資源を地球全体に拡散させてしまう。サッカーでいえば、自陣ゴールが危ない時に守備陣をフィールド全体に拡散させるようなものだ。
 と、サッカーの比喩で答えている。安倍首相の「隣家の火事」の比喩よりはるかにわかりやすい。

 こう書くと、長谷部氏は憲法が専門で、国際安全保障のことはわからないのではとイチャモンをつける半可通がきっと出てくるのだが、例えば内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)まで勤めた元防衛官僚の柳澤協二氏も、今回の安保法制についての反対理由の一つに、長谷部氏と同様の問題を挙げている(『亡国の集団的自衛権』(集英社新書))。

 個別的自衛権の確立と防衛設備の近代化を、日本国憲法の枠内で営々と積み重ねてきた元防衛官僚から見ても、いや、そういう職務に携わった人だからこそ、安倍自民党の集団的自衛権の拡大解釈は現実にそぐわないどころか、現実をより悪化させるものにみえるのだ。

 安保法制に関連しては、3面で「海外識者の眼」という連載コラムが一昨日から始まっていた。今日は、韓国戦略問題研究所のムン・ソンムク氏。
 安保法案は北の核・ミサイル問題の根本的解決策ではない。日本が韓国、中国と信頼を回復し、それぞれの二国間関係を対立から協力へと変えてこそ、北朝鮮を孤立化させることができ、北朝鮮に対する抑止力を高められるはず。
 という部分に注目。東アジア安全保障の観点からすれば、米国以上に、中・韓との協調を失したままの北朝鮮対応はありえないのは自明のことだが、この問題が自民党からはまったく提起されていない。安保法制論議は、日本の外交下手をあらためて浮き彫りにする結果となっている。

 福島原発関連では、4面「庭の汚染土と暮らす 福島市渡利地区住民の怒り」というルポや、富岡町出身の企業コンサルタント・矢内世夫氏による、避難指示区域からの避難者162人のアンケートと「原発被害者生活支援法」制定の運動に関する特報面の記事は重要だ。
 安保も原発もじっくり勉強したいこと、すぐにも動き出したいことがたくさんあるのに、私は今、猛暑のなかやむにやまれぬ仕事に追われていて、身動きがとれない(自己責任ともいうけれど=笑)。
[ 2015/07/28 20:37 ] politics | TB(-) | CM(0)

映画『The Sea of Trees』

⇒ 映画『ザ・シー・オブ・ツリーズ(原題)』 - シネマトゥデイ:

『ミルク』などのガス・ヴァン・サント監督が、「The Black List 2013」(製作前の優秀脚本)に選出された脚本を映画化。死に場所を求めて青木ヶ原樹海にやって来たアメリカ人男性が、自殺を思いとどまり樹海からの脱出を試みる日本人男性と出会ったことで、人生を見つめ直すさまを描く。『ダラス・バイヤーズクラブ』などのオスカー俳優マシュー・マコノヒーと、『インセプション』などで国際的に活躍する渡辺謙が初めて共演を果たし、『インポッシブル』などのナオミ・ワッツも出演。


第68回カンヌ国際映画祭コンペ部門出品作。国内では2016年全国公開予定。

[ 2015/07/27 08:05 ] movies | TB(-) | CM(0)

男と女のいる舗道

 本日のタイトルは、むろんジャン=リュック・ゴダールの映画『女と男のいる舗道』のパクリである。高校生のころ読んでいた総合雑誌に連載されていた匿名コラムの表題がたしかそんなで、それも脳裏にあった。今日ふとそのフレーズが浮かんできて、MacをSpotlight検索していたら、出てきた。1992年12月24日付けの原稿。いまは存在しないとある雑誌に書いたコラムだ。


 ブログネタが尽きたので、アーカイブを掘り出しはじめたというわけではない。なんかこの原稿を書いていたときと同じような感覚、既視感のようなものが昨日の午後に蘇ってきたのだ。季節は枯葉散る冬の舗道とは真逆の、うだるような猛暑日ではあったけれど。

 全文を掲示してみる。


  週刊文春に麻生圭子さんが連載している「日本のプライヴァシィ」というコラムがなぜか好きである。たとえばレストランの後ろの席で深刻そうに向かい合っているアベックの方から、聞くともなしに耳に入ってくる会話……


 ♂「だからやばいって言ったろ」

 ♀「仕方ないのよ、終わっちゃったんだもん」


 そんな会話の断片をひそかにメモして、二人の間柄から関係の煮詰まり具合まで、ああでもないこうでもないと推測しては、1ページのコラムを仕立ててしまう。盗み聞きというと身も蓋もないが、なかなか想像力豊かな耳である。

 

 私も、かつてこんなことを思ったことがあった。雑踏の中を感度のよいカセットテープを片手に、ふらふらと歩いて、文字通り街の声を採集するのだ。街頭演説のカン高い声、大安売りを告げる呼び込みの声、新興宗教団体が奏でる音楽、子供の泣き声、老人のつぶやき……都会の街頭はさまざまな雑音の集合体である。かつて日本に来たばかりのラフカディオ・ハーンが感動した美しい響きとはもう出会えないかもしれないが、それはそれで、今の時代らしい音や言葉が拾えるはずだ。乱暴な男言葉の女子高生に少女幻想の崩壊を感じてもいいし、ペルシャ語とパンジャビ語とタイ語が交互に通りすぎる様子から、日本における外国人労働者の現状を考察してもいい。

 

 ただ私はその日、そんなふうに意識して街を歩いていたわけではないのだ。けれども、その女の声には、通りすがりの人を振り向かせるような切羽詰まった調子があった。

 

「逃げないでよ!」

 

 私は急いでいた。調べ物があって、本屋に行かなくてはならなかった。しかしその声のする方を振り向いた瞬間に、ただならぬ様子を見てとって足が止まった。女の声の先で、うつむいたまま背を向けている、ジーンズをはいた自由業っぽい中年の男の顔に見覚えがあった。知合いというわけではないが、かつてその人の著作をたくさん読んだことのある、フリーのジャーナリストによく似ていた。きっちりとした仕事をすることで知られる社会派のルポライター、ということにしておこう。むろん妻子があるはずだ。女は年の頃30代半ばで、服装からするとその男と同業と思えた。

 

「逃げないよ」

 

 男はそう呟いたように聴こえた。しかし、女から離れたがっている様子はありありだ。やがて背を丸めたまま男は、冬の夕暮れの雑踏の中に消えて行った。女は二歩、三歩追いかけたが、すぐに歩みを止めて男の背中をじっと見つめていた。その瞳に涙が溢れたかどうかは、私は知らない。

 

 よくある男と女の愁嘆場である。実りのない恋の清算の現場なのかもしれない。しかし所詮は通りすがりの目撃者の私には、それ以上知る術はないし、それ以上を詮索する権利もない。

 

 けれども、私はなぜかホッとした。尊敬すべきあの人にも、プライバシィがあるのだということ。それはもしかしたら世の倫理にもとることかもしれないけれど、押さえつけることのできない衝動をこの人も抱えていたのだと思うと、なぜか、心が安らいだ。

 

 逃げる男と追う女。二人の中年男女のプライバシィは、吹き散らされた枯葉のように、夕暮れの街頭に佇んでいた。


 遭遇したシーンは、ほんとうの話である。愁嘆場をみせてくれた著名ジャーナリストも、高齢にもかかわらずお元気で活動されている。ちなみに、麻生圭子さんも最近あまり名前を聞かないが、ご健在のご様子。文中の「カセットテープ」だけは、いま書くなら「ICレコーダー」だろうか。

 あれから四半世紀も経つけれど、舗道に悄然と、男と女が佇む風景はたぶん永遠に変わらない。

[ 2015/07/27 02:35 ] memo | TB(-) | CM(0)

映画『やさしい本泥棒』『アデル、ブルーは熱い色』

『やさしい本泥棒』

ソフィー・ネリッセ:Marie-Sophie Nélisse

 ナチス支配下で公開焚書が行われた街の広場。9歳の少女リーゼルは焼け残った本をこっそりと取り出し、里親になった新しい父の下で読み書きを学ぶ。

 リーゼルの実の両親は共産党員らしいが、リーゼルはまだ「コミュニスト」という言葉の意味を知らない。父はすでになく、憔悴しきった母と逃亡中の列車で、小さな弟は息を絶える。その後母も逮捕されたに違いない。母とはぐれたひとりぼっちのリーゼルを養女に迎えたのは、看板職人のハンス夫婦だった。

 

 このころ体制への「反逆者」とされた共産党や社民党の子どもたちが、実際にはどのように処遇されたのか。ユダヤ人であれば間違いなく一族郎党ともに強制収容所に送られたろう。政治犯の子どもは、親と切り離されて、映画のように「養子」扱いで生き延びる道がのこされていたのかもしれない。

 

 当時はインテリが多かった共産党員であるのに、娘に読み書きを教えなかったというのは不思議なことであるが、おそらく長い逃亡や地下生活にあって学校に行かせることができなかったという設定なのだろうか。

 

 劇中、仕事にあぶれた養父ハンス(ジェフリー・ラッシュ)に「党員になればたくさん仕事を回すのに」とささやく隣人が登場する。しかしハンスは口にこそ出さないが、ヒトラーのことをよく思ってはいない。リーゼルをコミュニストの娘と知って養女にしたのもそうだし、第一次世界大戦の戦場で銃弾に身を挺して自分をすくってくれたユダヤ人の知人がいて、その息子を地下室に匿うという行動に出るのも、そのあらわれだ。積極的抵抗者とはいえないにしても、ナチスに対する市井の抵抗者の一人であったのはたしかだろう。

 

 養母に扮するのはエミリー・ワトソン。リーゼル役のソフィー・ネリッセは、2人の大俳優に囲まれながら、のびのびと演技している。大きな無垢の瞳が印象的な子役だ。

『ぼくたちのムッシュ・ラザール』のときはまだ表情にあどけなさがあって、言われるまで同じ子だとは思えなかった。

 

 原作はマークース・ズーザックの『本泥棒:The Book Thief』。それによれば、舞台はミュンヘンの街だという。狂言回しのように、ロジャー・アラムのナレーション(死神役)がときおり入るのは、なくもながではあるが、おそらく原作の構成を踏襲しただけなのかもしれない。

 ネリッセの次回作は児童文学『ガラスの家族』の映画化だという情報がある。

 

 もう1本、『アデル、ブルーは熱い色』は2013年のパルムドール作品。ようやく見ることができた。

 同性愛であれ異性愛であれ、性愛の根源には相手を食べてしまいたくなるほど所有したいという願望があるはずだ。ただその感情は永遠に続くことはない。いつか変化が訪れる。

 その顚末を、主演のアデル(アデル・エグザルコプロス:Adèle Exarchopoulos)の表情の執拗なまでのクローズアップで撮りきった。まさにアップに堪える演技者ではある。

 高校生たちが街頭のデモに出るシーンや、女子学生がサルトルの哲学を語るシーンなどもある。けっして70年代ではなく、2000年代の話。これらは原作者あるいは監督アブデラティフ・ケシシュのモチーフにあった背景なのだろう。監督のチュニジア生まれという来歴が、少数者=LGBTへの理解を生んでいるのかもしれない。同監督の『クスクス粒の秘密』も私の録画ライブラリには入っているので、近いうちに見てみたい。

 それにしてもこの恋人たちは、非対称だ。才能豊かだが癇癪持ちのエマ(レア・セドゥ:Léa Seydoux)と、エマほどに才能はないものの、けなげで一筋で、泣き虫のアデル。誰だって後者に感情移入してしまう。同性愛についての社会的偏見を、一身で受け止めるのもアデルのほうだ。

 失恋後、アデルがまるでブルーブラックのインクを垂らしたような海に漂うシーン(美しい!)、青いドレスでエマの個展を訪ねるも、失意のまま帰るラストシーン。エマはすでに最初に出会ったときのような青い髪をしていない。青は情熱の色であると同時に、喪失の色でもある。

 

 私の審美眼的には、エマの新しい恋人役(最初のパーティーシーンで妊娠していたのはこの人だったはず)でちょっと出ていたモナ・ヴァルラヴェン:Mona Walravensという女優さんのほうが素敵だと思った。

 雰囲気が少し、ロザムンド・パイク:Rosamund Pike(下)に似ているんだよな。








[ 2015/07/25 08:13 ] movies | TB(-) | CM(0)

07/24のツイートまとめ

thinmustache

評論家・哲学者の鶴見俊輔氏 死去 NHKニュース http://t.co/q2fALvZwl3
07-24 11:05

[ 2015/07/25 03:43 ] twitter | TB(-) | CM(0)
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Author: thinmustache(a.k.a. hiropon)
よしなしごとを書き散らかしております。

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