11月のハノイ旅行のためにベトナム関連書籍をいくつか神保町の内山書店で探す。ここは中国専門かと思ったら、他のアジア領域もカバーしていた。ベトナム関係もそれなりに充実。M・T君がホーチミンで編集している「SKETCH PRO」のバックナンバーまで置いてあったのにはびっくり。以下は本日購入した本。
カバーイメージ | タイトル | 著者 | 出版社 |
---|---|---|---|
![]() | フォーの国のことば: ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ | 冨田健次 | 春風社 |
![]() | 観光コースでないベトナム―歴史・戦争・民族を知る旅 | 伊藤 千尋 | 高文研 |
![]() | ベトナムの風に吹かれて | 小松みゆき | 角川文庫 |
![]() | 週末ベトナムでちょっと一服 | 下川裕治, 阿部稔哉 | 朝日文庫 |
小松みゆき『ベトナムの風に吹かれて』は、大森一樹監督、松坂慶子・草村礼子ら出演で映画化され、10月に公開されるという。
台風一過の木曜は午後7時すぎから谷根千散歩。あてもなくぶらついていたら、ヘビ道あたり。津軽郷土料理の名店「みじゃげど」のほぼトイメン。ヘビ道をはさんで住所表記は変わり、谷中ではなく千駄木になってしまうのだが、えっ、こんな店あったかなと思ったら、今年の4月にオープンしたらしい。「串焼 とくり」。
カウンターとテーブル一つ。40代夫婦で営む小さな店。焼き鳥の味はふつうだが(ささみ、ハツはいまいち。ボンジリは旨い)、ワインや日本酒の揃えが面白い。3年古酒の「ダルマ正宗」などが置いてある。写真はその琥珀色の古酒と「クリームチーズの酒盗のせ」の図。
青森・弘前の「豊盃」の三浦酒造が「ビキニ娘」というえらいポップなラベルの発泡系の酒を造っていることを初めて知る。日本酒愛好の垣根を低くするという狙いはわかるが、なんだかなあな感じもある。いや「なんだかなあ」は昨今の日本酒マーケティングについて言っているのであって、この「とくり」という店はけっして嫌味な感じはしない。むしろいい感じ。もう一度行きたくなる店ではある。
その帰り、言問通りをととっと降りて菊坂下あたりで、手をつないで帰るM夫婦とばったり。Yちゃんに写真を撮られてしまう。何で? そのあと、つくばね。常連Kさんとそのお友達。
1970年代の独裁政権下のポルトガルで苦難の生涯を送った本の著者を「アメリカン・ハッスル」のJ・ヒューストン、さらには、M・ロラン、B・ガンツ、C・ランプリングらが豪華に顔をそろえ、息詰まる演技合戦を披露。重層的でドラマチックな一作に仕上がった。
顔が似ているわけではないが、(N.キッドマン)見ていくうちにケリーに見えてくるから不思議で面白い。あちこちにちりばめられたヒッチコック作品へのオマージュにも思わずニヤリとさせられるだろう
オランダからやって来た戦慄のクライムアクション。本国でベストセラーとなった犯罪小説を映画化した。知らない間に自分の公的IDが流出、テロや犯罪に利用されてしまうという現代的なテーマを扱っており、遠い異国の話と安心できないリアリティを感じさせる。
弱冠16歳で短編監督デビューを飾り、ヌーヴェル・ヴァーグの次世代を担う神童として一躍注目を集め、以後、自らの家族や恋人たちなどを題材に、極私的でミニマルな独自の恋愛映画を数多く発表してきたフランスの孤高の映画作家、ガレル。本作は、今は亡き彼の父の30歳のころの生活をもとに、新たな私的ドラマを構築。
トロント国際映画祭やシッチェス映画祭をはじめ、各国で賞賛られたサスペンスの注目作。ブログ更新のため、俳優とドキュメンタリー作家の2人が世界放浪の旅をしながらカメラを回し続けているという設定で、POV(主観映像)を効果的に使ったサスペンス演出がなされる。
カナダが生んだ現代映画界きっての鬼才クローネンバーグが、映画の都ハリウッドを物語の舞台に据えて、富と名声、欲望と野心に取りつかれたセレブたちが織り成す奇態な生活ぶりを、彼ならではの皮肉と風刺を織り交ぜながら鮮烈に活写。クローネンバーグ版“ハリウッド・バビロン”というべき異色の衝撃作を生み出した。
キム・ギドク監督が製作総指揮など3役を務めたのが本作。北朝鮮から韓国に送り込まれ、疑似家族になったスパイ4人。韓国の政治体制に批判的だが、同じ朝鮮民族としてのアイデンティティーは否定し切ることができず……。
エンブレム問題などが、オモシロ可笑しくワイドショーなどで採り上げられるに至って、私はもうこの問題はいい、それ以上に、考えるべき問題はいくつもあると思うようになった。一つは「安保法制」の国会審議。ネットやワイドショーの馬鹿騒ぎは、そうやって国民の不満の“ガス抜き"をしながら、実はオリンピック以上に重要な社会の争点を、あいまいにする機能を、現状では果たしている。昨晩のテレビ番組で宮根誠司がエンブレム問題を得意顔で解説するのを聞いて、あらためてそう思った。
むろんそうはいっても、オリンピック開催そのものは極度に政治的な意味をもつ国家イベントであることに変わりはないから、その決定・推進過程に、いかに日本の民主主義が活かされているのか、あるいは無視されているのかは、あいかわらず重要な論点ではあることはたしかだ。
つまり、私が言いたいのは、オリンピックのことを考えるのであれば、これからの関心の方向は、「佐野厄寄せ大師」の個人的振る舞いをあげつらう床屋政談や、「アスリートが可哀想」などという同情論を超えて、オリンピックの政治性や経済性への批判そのものではないのかということだ。これから私たちが持つべきものは、つまりオリンピックを社会科学的に評価する視点なのである。
そうした議論の材料になるような記事が今朝の日経に掲載されている。
⇒ 東京五輪の迷走 新国立、エンブレムで終わらない:日本経済新聞 2015/9/7 3:30:
曰く、
東京五輪の競技場整備を巡る誤算は、国が整備する新国立競技場だけで起きていたわけではない。東京都が整備を担当するスポーツ施設の工事見積額が当初の予算を大きく上回ってしまい、準備局の担当者は費用の圧縮に追われているのだ。
東京都が臨海部を中心に整備する予定だったスポーツ施設は合計10カ所。しかし、工事見積額が当初の予算の範囲内に収まっているものは1つもないという。
「工事見積額が当初の予算の範囲内に収まっているものは1つもない」というのは、知りたくなかった恐るべき真実だ。予算オーバーの現実は酷いものだ。
その象徴が「海の森水上競技場」。そもそもは、東京臨海部の新名所「東京ゲートブリッジ」のたもとに、ボートとカヌーの競技会場として、東京都が69億円で整備する予定だった。
ところが、「五輪開催が決まってから現地を調査したのだが、観客席を設ける場所の地盤が悪いことがわかった」(準備局の花井徹夫・施設輸送担当部長)という。
地盤を改良して建設すると、1038億円かかることが判明。費用は当初見込んでいた金額の約15倍にも膨らんでしまう。東京都は、観客席の位置を変えるなど計画を変更したが、それでも491億円。当初計画の約7倍とケタ違いの費用が発生してしまう。
なんでこんなことになっちゃうんだろう。
開催地に立候補した時点で、東京都は10施設の整備費を合計1394億円に抑えられると試算していたが、開催決定後は一転。総額が一時、約3倍の4059億円にまで膨れ上がった。現在は海の森水上競技場の計画見直しなどで2281億円に圧縮しているが、それでも当初の1.6倍だ。
見積もりが膨らんだのは、これまでは「景気回復や震災復興需要に伴う、建設業界の人件費と資材費の上昇が一因」とされてきたが、どうやらそれだけではないらしい。
大会招致委員会が整備費を記載した立候補ファイルを国際オリンピック委員会(IOC)に提出したのは2013年1月。整備費用は、国内の類似施設をベースに算出していたが、計算したコストは純粋に建物の施工費だけだった。
建物のコスト以外にも、設計委託費や周辺の敷地整備費用などは当然含まれるべきコストであるのに、それらを除外していたというのだ。かくして東京都の整備計画はいまボロボロ(上図参照)。
コスト問題だけではない。招致にあたって叫ばれた「コンパクト五輪」のコンセプトも、今ではほとんど詐欺のような状態になっている。
東京都や国、日本オリンピック委員会(JOC)などは2020年の五輪の開催地に東京が手を挙げたとき、競技施設の大半が東京臨海部を含む都心部の半径8キロ圏内に収まり、ベイエリアの選手村から選手たちが楽にアクセスできる点をアピールしていた。
もはや東京五輪の招致に携わった国や東京都が訴えた「低コスト」「コンパクト」という強みはかすみつつある。国の新国立競技場も、東京都のスポーツ整備計画も、実現性を十分に考慮しないまま突っ走った構図はうりふたつだ。
さあ、どうする東京五輪。こうした体たらくが続くのであれば、「返上」論も現実味を帯びてくるのではなかろうか。
国会休んでミヤネ屋へ http://t.co/YM5C9aenQL
先にまとめておいた、WoWoW放映8月~9月の新作映画リスト。録画は順調に進んでいるが、もちろん全部観られるわけではない。「全部観ないのになぜ録画するのか」という当然の疑問に、私なりの回答は用意しているが、ここでは触れない。
それでも今月は実見しているほうかな。以下、簡単に感想をば。
ヒロインのエミリー・バルドーニは初見の女優だが、完璧に美しすぎて、あまり人気が出ないというタイプか。
★『リベリオン~ワルシャワ大攻防戦~』。1944年夏のワルシャワ蜂起を再現。アンジェイ・ワイダをはじめ戦後ポーランド映画が再三採り上げる記念碑的事件ではあるが、その「実相」を複数の若いカップルたちの運命と共に描く。「大攻防戦」という邦題にはちょっと無理がある。ソビエト赤軍が介入しなかったために、蜂起はナチスによってほぼ一方的に鎮圧されたわけだから。
廃墟と化したワルシャワに現在のワルシャワの街の様子がインポーズされるラストは、ポーランド国民に民族的記憶の共有を求めているようだ。そういう意味ではナショナリズムの映画とも言えなくもない。そうしたイデオロギーの範疇を超えて、人間の問題としてワルシャワ蜂起を描いたワイダの偉大さをあらためて感じる。
★『わたしは生きていける』。「NYから単身イギリスの田舎にやって来たところへ第3次世界大戦が勃発するという緊急事態に観舞われた少女の過酷な運命」──たしかにロンドンが「テロリストの核攻撃を受けて壊滅」となれば大変だ。だが、テロリストと呼ばれるのがどんな勢力なのか、最後までよくわからない。テロリストが水道水に混入させた毒物を、簡単に浄化できる薬剤というのも、すごすぎる。
しかしそんなシチュエーションはどうでもいいのだ。これはシアーシャ・ローナンという人気絶頂の美少女俳優(芝居もうまいよ)を無理やりフューチャーした青春ロードムービーなのだから。結論が見えすぎるので、最後は早送りしちゃったけど。
ローナンはやはり『つぐない』での演技が見事。『ラブリーボーン』や『グランド・ブダペスト・ホテル』も印象に残る。
以下は7月以前の録画を昨日観たものだが、
★『美しい絵の崩壊』は文字通り悲劇的なまでに美しい映画だ。原題は “Two Mothers" 。それぞれ一人息子の母になった幼なじみの女性たち。2つの家族は子どもたちが長じても仲が良く、サーフィンのできる美しい入江を見下ろす、別荘のようなところに暮らしている。夫が大学で演技を教えていたり、妻は画廊を経営していたり、生活の背景には十分な裕福さが窺える。
サーフィンに興じるハイティーンの子どもたちの肉体を眺めながら、「私たちが創造した美しい神々」と二人の母親たちはつぶやくのだが、それはその後の物語の波乱の予兆だ。昔から「第二の母」のように接してきた母の同年の友人を、その息子たちが交換するかのように愛してしまうという設定は、現実にはまずありえない。だが、ナオミ・ワッツとロビン・ライト(私はやっぱり『フォレスト・ガンプ』のジェニー役だな)なればこそ、映画的には成立する。
ひたひたと寄せてくる老いにおののき、若い恋人が自分から離れてしまうことを予感する、鏡の中のナオミ・ワッツは少し怖い。
★『パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間』もよかった。ケネディ暗殺直後のダラスの人々を群像劇として描く。瀕死のケネディが運び込まれたパークランド・メモリアル病院における蘇生シーン(結局、ムダだったが)が迫真をもって迫る。ジャクリーン夫人が、銃弾で破砕された夫の血まみれの頭蓋骨の一片を握りしめ、それを医師に手渡したという話は事実だ。
奇しくもこの病院には、ジャック・ルビーに撃たれたリー・ハーヴェイ・オズワルドも2日後に運び込まれることになる。オズワルドの兄や母がこのとき何を考え、何を語ったのかも、私はこの映画で初めて知ることができた。
キャストはいまのアメリカ映画を代表するとも言える重厚な布陣。なかでも、マーシャ・ゲイ・ハーデン/ビリー・ボブ・ソートン/ポール・ジアマッティ/ジェームズ・バッジ・デール/ザック・エロンらが印象に残った。それぞれの個性を瞬間的に引き立たせる演出の手堅さ。
「「先生が来たぞー」とコールすると、相手チームは十秒間、正座したり、布団で寝たふりをしたりしなければならず、その間に敵陣にある枕を回収して、また攻撃に使える。」東京新聞:枕投げはスポーツだ! 温泉街活性化へ 来年伊東で全国大会- http://t.co/1omu1OSQ7r
09-04 16:55
今回のエンブレムが完成する過程では、佐野氏の原案に似た商標が見つかったため、大会組織委員会などの要請によりデザインが修正された。この過程は8月28日の記者会見で公表されたが、永井氏は1回目の修正案をその直前まで知らされておらず、最終案についても「(発表の)1週間くらい前に知らされ、国際商標を取ったというので、いまさら何を言ってもしょうがないと思って了承した」という。
⇒ 五輪エンブレム撤回:森会長「えらい目に遭った」 - 毎日新聞:
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は2日、東京都内で講演し、佐野研二郎氏がデザインした大会の公式エンブレムが白紙撤回となったことについて「だいぶ、えらい目に遭った」と述べたが「きょうはその話はしない。メディアの人が入っているから」と、それ以上は言及しなかった。
なんなんだんろう。責任を負うべきものたちの、この脱力するコメント群。この無責任の空気。
ワシらの若い頃、ワシらの世代は「無気力・無責任・無関心」の三無主義と呼ばれたが、当時のいい大人、いまの爺っちゃまたちにも、波及してたんだね。麗しきニッポンの伝統だなあ。
私がランチ・飲みに出没する小石川1丁目の一角で、それこそ私がこの地に引っ越す前からあった再開発計画がいよいよ本格的に始動する。「やる、やる」といってなかなかやらない詐欺のような状態が続いていたが、対象地区のテナントは年末までには全部退去することになったようだ。ビル解体などの工事は来年からだろう。
今日のランチは、まさに再開発地区のど真ん中、下記の地図でいえば「発」の字あたりに位置する「まんてん」のマグロ・ソティ載せオリジナルカレー(旨!)だった。おかみさんに聞いたら10月末には店を閉めるとか、次の物件も探しているがなかなかこのあたりには見つからないとボヤいていた。
計画の正式名称は「文京区春日・後楽園駅前地区市街地再開発」。全体で2.4haの敷地。再開発は3つの街区にわけて進み、地上40階建ての高層オフィスビルやマンションが建つほか、地下街もできるという噂だ。
2018年頃に完成予定とも言われるが、これまでの度重なる計画遅延があるから、実際のところはわからない。東京五輪までにはまあできるんじゃないか、というのが地元っこたちの予測である。
私が困るのは、やはりこの間、ランチや飲みに使っていた店が使えなくなることだ。工事の騒音や車両の出入りで地域の静謐さが失われるのも心配だ。たとえ再開発が終わったとしても、はたして新住民が入ってくるのか、オフィスや店舗はどうなのか。人口の都心部への逆流現象は、このころまで続いているのか。
正直、わざわざガラッと変えるほどの需要があるのかねというのが感想。このままで十分、便利で楽しい街なんだし。
Author: thinmustache(a.k.a. hiropon)
よしなしごとを書き散らかしております。