リオデジャネイロ五輪の卓球女子団体で銅メダルを獲得した福原愛さん(27)=ANA=が、今月初めに結婚したリオ五輪台湾代表の江宏傑(こうこうけつ)さん(27)と21日、東京都内でそろって記者会見し、笑顔で喜びを語った。
引用:福原愛さん、結婚指輪も「卓球デザイン」会見の一問一答:朝日新聞デジタル
愛ちゃんはみんなが幼小のころから知っている、国民的スタア。ほとんどの人が友達や妹や娘や姪っ子や孫の結婚を祝う気分だろう。メディアを通じて知る愛ちゃんの人柄もその喜びを増幅させる。芸能タレントと違って、アスリートだけに本番では噓をついたり、演技をすることができない。みんなが、彼女の私生活はともかく、噓のないシーンを知っているからこそ、今回の慶事は他人事ではないのだ(といっても、所詮は他人事だけどね)。
それにしても、パートナーの江宏傑クンはアイドルか俳優と見まごうばかりのいい男だね。これではなかなか日本人アスリートは勝てないわ。ただ、本人の名前は、英語表記で「Chiang Hung-Chieh」、愛ちゃんも会見で「ジャン・ホンジェさんを紹介します」と言っているのだから、新聞報道もここはちゃんと現地語発音に近い表記をすべきじゃなかろうか。
まあ、社内で定める表記のルールに沿ったものではあるのだが、特に中国・台湾人については、以前は現地発音にならっていたと思うのだが、いつの間にか日本風の発音になってしまった。だから海外で中国の指導者のことを「こう・たくみん」と言っても通じない。少なくとも「Jiang Zemin」「チャン・ツェーミン」と言ったり書いたりしないと通じない。
「中国人だって日本人の漢字を現地語風に読むではないか」という“反論”も想定されるが、それは向こうの事情。最近は著名日本人については、日本語の読みを覚えて、それを使う中国人も多い。少なくとも、国際化を気取るのであれば、国内読みとグローバル読みを使い分けるリテラシーは必須だが、日本の新聞だけ読んでいては、その習得ができないのだ。
日本人メダリストが外国籍のアスリートと結婚したことで、両人の国籍移行やその間に生まれる子どもの国籍問題が、はやネットでは取りざたされている。今回の結婚が、「蓮舫」の二重国籍問題のときのように、日本人のちっぽけなプチ・ナショナリズム気分を増長させないといいのだが……
一方、技術会議の委員だった川田誠一・産業技術大学院大学学長は「地下も盛り土がされたと思っていた。実は空洞だと聞き、びっくりした」と話した。委員だった長谷川猛・都環境公社非常勤理事は「地下空間の利用なんて都は会議で詳しく言っていない。技術会議で承認していないと思う」と指摘。
引用:東京新聞:豊洲市場 都、08年に地下空間案 盛り土提言を受けた直後:社会(TOKYO Web)
豊洲市場移転問題、コンクリートの下の謎の空洞が明るみになって、いよいよ百鬼夜行、魑魅魍魎の世界になってきた。
上記、東京新聞の記事によれば、土壌汚染対を検討する「専門家会議」は2008年7月に「敷地全体を盛り土するように都に提言」し、「有害物質が建物内に入るおそれがあるため、地下施設は造らない方がいい」と指摘していた。
ところが翌月に開かれた「技術会議」で、都はあっさりと専門家会議の提言を否定。地下空間建設にこだわり、結局、「都は建物の下に浄化作業ができる空間を確保する案を設計に反映した」。この間、最初の専門家会議は解散。自分たちの提言が技術会議で覆されたのに、それを問題視することもなく、会議出席の報酬だけ懐に入れてトンズラしたわけだ。とんだ「専門家」たちである。
さらに魑魅魍魎なのが、上に引用した技術会議の面々のコメント。「てっきり盛り土されていると思っていた」「地下空間の利用なんて都は会議で言っていない」といまさらながらの責任逃れ。自分たちの議論がどのように設計に反映され、実際、どのように施工されたのかを確認することには、全く関心がなかったようだ。こちらの会議出席報酬はおいくらだったのかねえ。
都の職員が、専門家会議や技術会議の議論を無視して、勝手に設計を変更したのだとすれば、専門家や有識者を集めて会議をする意味などまったくなかったのではないか。たんなるアリバイ工作に使われただけではないのか。
むろん問題の元凶は都庁にあるわけだが、日本の土木技術の専門家とやらの知的退廃も、それ以上に深刻だ。
米NFLのコリン・キャパニック選手が米国内の人種差別に抗議するため国歌演奏時の起立を拒否して賛否両論となっている問題で、オバマ米大統領は5日、キャパニック選手は憲法で保障されている意見表明の自由を行使しているだけだと擁護した。訪問先の中国で発言したオバマ氏は、選手の行動は議論に値するものだと述べた。
引用:米国歌に起立拒否のNFL選手、オバマ氏が擁護 - BBCニュース
アメリカンフットボールのプロの試合にいちいち国歌が流れる、というのもうざったいお国柄だが、それでもアメリカの自由と民主主義はまだ寛容だ。これが日本だったら、どこぞの爺さんが「国歌を歌えないような選手は日本の選手ではない」などと偉そうに𠮟咤し、その発言がそのまま容認されてしまうだろう。
プロリーグのセレモニーと、ナショナルチームの壮行会というイベントの性格の違いが問題なのではない。スポーツの現場にも出現する、国家という共同体と個人の関係の問題なのだ。その関係はつねに一定の緊張感をもって、かつ多様に構築されている。そのことをアメリカのスポーツ選手は自分の頭で考えている。所属チームも起立拒否というだけでは問題視しない。ましてや大統領や軍人までもが。
日本人は、実はこういう関係性への意識が歴史的に希薄だ。だから容易に、周囲の同調圧力やナショナリズムの興奮に流されてしまう。
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Author: thinmustache(a.k.a. hiropon)
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