白玉は夏の季語というし、こんなふうに寒天を添えて、きれいなガラスの器で食べたら、さぞかし冷んやりとして、おいしかろう。ただ、私には夏の記憶というより、汁粉の具のほうが印象深いかもしれない。
ネットでいくつか「白玉」を詠み込んだ句を探してみた。
● 姉妹(あねいもと) 白玉つくるほどになりぬ 渡辺水巴
は、たいそう可愛らしい情景が目に浮かぶ。
● 白玉にやさしきくぼみあれば喰む 杉山久子
● 白玉にゑくぼをつけてゐるところ 小林苑を
も、同様。
ただ、
● 白玉やばくちのあとのはしたがね 吉田汀史
となると、ただならぬ気配。すってんてんでやけっぱちになって、オジサン、ふだんは行かない甘味屋で人生憂うの図か。少しだけ、その心境がわかっちゃったりする。
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Author: thinmustache(a.k.a. hiropon)
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