新聞雑誌は、フランスと同じく、相当の頁数を広告に割いているが、それ以上なのがテレビである。 放送はスポンサーの告知から始まり、以後、五分おきに短時間のスポット広告が、それも同一スポンサーの広告が番組を中断する。 考える時間などない。ほとんどのテレビ局はパチンコ業界のようなプログラムを提供している。目障りな色彩、絶えざる騒音、中学生なみの俗悪な笑い。
このテレビという曲馬館のような騒ぎにおいて、広告は世界的な巨人、電通によってコントロールされている。電通は世界第五位のグループ企業であり、広告業界トップの代理店である。
引用:電通は日本のメディアを支配しているのか? (内田樹の研究室)
内田氏が翻訳してくれたフランスのネット記事の中に、広告代理店の功罪を指摘する文脈ではあるものの、日本のテレビについてまことに的確な批評があったので、引用した。
テレビ(特にCMによって支えられている地上波民放局)を、「パチンコ業界のようなプログラム」と呼び、さらに「曲馬館のような」と批評するあたりに、言葉のセンスを感じる。まさに言い得て妙なのだ。
だが、問題なのはテレビ広告だけではない。
ずいぶん昔の話だが、イギリスを仕事で訪ねた折、現地在住が長い日本人コーディネータ(女性)にこんなことを聞かれた。
「ときどき日本に里帰りすることがあるんですが、そのたびに日本のテレビって騒々しくなってている。外国語の翻訳でもないのに、画面の下に話者の話の内容がテロップが流れるのはなぜ? スタジオのタレントさんの表情が画面中の小さな窓に始終、インポーズされるのはなぜ?」
イギリスのテレビはあんなにケバくはないというのだ(今はどうなのか知らないが)。
「視聴者にチャンネルを変えて欲しくないから、あの手この手で興味を促したいんでしょう」
と私は答えた。
「でもあんなケバケバしい画面じゃ、逆効果でしょうね」というあたりで彼女とは意見が一致した。
こうした騒々しさの基本構造を、うまく図解してくれた人がいる。まさにバラエティ番組の構成はこうなっている。
最近はNHKのニュース解説番組まで、採り上げたテーマについての意見募集とかいって、Twitterのつぶやきを延々とテロップで流す。あれが私にはウザい。ニコニコ動画の、画面を覆い尽くさんばかりの「コメント機能」と同じくらい、大嫌いだ。
ネットを活用した視聴者参加型の番組づくりってことなんだろう。小賢しくいえばテレビのソーシャル・メディア化。しかし「ソーシャル」と言われましてもねえ。映し出されたものを一人でじっくり見て、そこで何かを反省的に考えることができない人に、本当の意味での「ソーシャル=社会的」なコミュニケーションは期待できない。今のテレビの画面は、ものを考えようとする、そうした静かでゆったりとした時間を我々からますます奪い取る。
って、テレビとはそういうものだけどね。昔から。
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Author: thinmustache(a.k.a. hiropon)
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